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震災と原発事故と365歩のマーチ

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震災と原発事故と365歩のマーチ
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by morimiki-momo | 2011-04-26 20:39

3歩進んで2歩さがろう

人生はワンツーパンチでしたね。BY 365歩のマーチ

惨事ストレスとメンタルケア
http://www.shinsugok.com/research/images/stress_and_care.pdf
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by morimiki-momo | 2011-04-18 18:38

隠された被爆労働

イギリスでの放映です(日本でなくて!)
隠された被爆労働〜日本の原発労働者 1~3





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by morimiki-momo | 2011-04-15 18:33

浜岡原発で働いていた嶋橋さんは50ミリシーベルト以下で死亡している(労災認定)

浜岡原発で働いていた嶋橋さんは50ミリシーベルト以下で死亡(1991年)しているわけです(労災認定)
中国新聞で紹介されています。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/00abom/ningen/000322.html
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/00abom/ningen/000323.html
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/00abom/ningen/000324.html
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/00abom/ningen/000325.html

日本の気象庁なのにどーして英文でしか予測しないんでしょうね!
http://www.jma.go.jp/jma/kokusai/eer_list.html

放射線はこんな感じで出ているのですね!(4月13日 モニタリング)
http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110413009/20110413009-2.pdf

JCO臨界事故で死亡した方の画像がネット検索ですぐ見られますが、ほんとに酷い最期です。
放射能とは恐ろしいものです。
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by morimiki-momo | 2011-04-14 19:54

放射線モニタリングマップ

放射線モニタリングマップ

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&msa=0&msid=208563616382231148377.00049e573a435697c55e5&ll=39.13006,140.229492&spn=17.158657,39.111328&z=5
放射線の測定結果が見られるよ~。

自粛しないもんね~。
また、きてね~。(^^//
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by morimiki-momo | 2011-04-08 22:07

桜の花も自粛?ぎみ

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今年は、昨年より半月ほど桜の開花が遅れたようですが(去年が早すぎということもありますが)桜もびびったのか?遅咲き、しかも満開にならず~~といった感じで何かヘンです。
花が咲く前に葉がでてしまっている桜もあり何かヘンです。
う~ん、何かヘン。
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by morimiki-momo | 2011-04-07 19:10

さっさと原発はなくそう!

さっさと原発はなくそう!
政府は、日本そのものまでも葬り去る気なんでしょうか。
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by morimiki-momo | 2011-04-06 21:46

危機感がないというかなんというか・・・ある意味お幸せ

事態はかなり深刻だというのに、危機感がないというか、なんというか・・・。
ばかは死んでも直らない~ってホントなんですね。哀しいお話しです。
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by morimiki-momo | 2011-04-05 19:00

原発資料紹介 & 拝啓 東京電力 様

福島原発で危機的状況が続いていますが、放射線についての基本的な知識がないと、判断しかねるところがあります。そこで、ネットで見られる資料を少しピックアップ。ご参考に。

原子力資料情報室 「原子力キーワードガイド」
(他にも多くの資料がありますが、難解な原子力用語をやさしく短く記してあります)
http://cnic.jp/modules/mydownloads/singlefile.php?cid=0&lid=1
http://cnic.jp/files/kwd.pdf

「国際放射線防護委員会(ICRP)勧告」
(放射線防護の指針が示されています)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/housha/sonota/__icsFiles/afieldfile/2010/02/16/1290219_001.pdf

「原発事故の防災対策」
(被曝を防ぐにはどうしたらよいかに触れています)
http://www.tanpoposya.net/main/index.php?id=557


拝啓 東京電力 様

 1960年代~70年代にかけて原発事業を推進していた内のお1人は、当時、東京電力社長・経済同友会代表幹事等を務めていた木川田氏(1977年死去)であったかと思います。当時の詳細は今となってはよく分かりませんが、文献等で見る限り、木川田氏の視点には「企業の社会的責任」、「人間尊重の経済システム」、「福祉社会の実現」、「労働者の重視」といったものもあったように思われます。公害対策委員会を立ち上げたり、企業政治献金を止めたりもされています。おそらく、今日の原発事業の惨憺たる事態を氏が見れば、原発事業からの撤退をご決断なさるのではと推測します。東京電力の速やかなるご英断を申し上げます。

敬具

片柳悦正(杜 海樹)
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by morimiki-momo | 2011-04-03 14:18

本当の厳しさはこれからやってくる

本当の厳しさはこれからやってくる  
〔「地域と労働運動」2011年4月号掲載〕

杜 海樹

 マグニチュード9という大地震が東北地方太平洋沖で2011年3月11日に発生、津波、火災、停電、断水、原発爆発と甚大な被害が連鎖的に発生していった。死者・行方不明者は2万人を超える見込みだという。お亡くなりになられた方々、被災された方々に心からお悔やみ、お見舞いを申し上げる。
 さて、今回の地震の被害は東日本全体に及んでおり、救援に向かうにもトラックの燃料が不足して車が動かせない、食料や医薬品も運べない、停電で通信手段も十分機能せず連絡もとれないという状況が続いている。津波に襲われた東北地方沿岸の町は壊滅的被害で一刻の猶予もないが、救援の拠点になるべき東京も長期に亘る計画停電が見込まれ機能が低下、工場等もフル稼働できず、救援の役割が果たせないという歯痒い状況に陥っている。このままの状態が続いていけば、企業倒産、失業率の上昇等も避けられない事態となり問題はさらに深刻さを増していくことになると、残念だが想像する。
 政府は原発爆発について、のらりくらりと対応しているようだが、素人目に見ても、極めて危険であることは明らかだ。今まで、原発は安全だ!と断言してきたのは政府なのだから、東京になどいないで、福島第一原発の目の前に政府の災害対策本部を設置して政府自らが原発を止めにいってほしいものだ。まさに日本の非常事態だというのに、東京でおろおろされていては非常に困る。
 今回の地震後の状況を見ているうちに、ふと、筆者自身の25年前の体験の記憶がよみがえってきた。ここで、少しお付き合い願いたい。
今から25年ほど前、船で太平洋上を旅行していた時のことだ。天候が急変し、突然、四方八方から風速50メートル級の超大型台風3つに取り囲まれるということがあった。太平洋の真ん中でのんびり…といった気分は瞬く間に打ち砕かれ、船内は突如修羅場と化した。太平洋上で超大型台風に囲まれて船が東西南北いずれにも動けなくなるという事態は誰も予想しないことである。しかし、起きてしまえばそれまでというものだ。
 その時、船長は「一刻の猶予もならない、最短距離を全速力で通過する」という判断を下した。最短距離を通過するとは台風の目の下を通過する、つまり巨大な台風に向かって突っ込んでいくということを意味していた。船というものは動かなければ横波に弱いし、大回りをすれば燃料切れで漂流してしまうといった問題があり、揺れを覚悟の上で、時間を短縮して台風の下を通過してしまうことの方がリスクが少ないと判断したのであろう。
 船は直ちに、台風の目に向けて全速力で走り始めた。船内は大揺れで、船に乗っているというよりは、直径300メートルの洗濯機にでも放り込まれてグルグルと回されているといった感じになった。波が来る度に、上下に20メートルほど振られ、天井と床に、交互に体を叩きつけられるようになっていった。地震の震度に例えれば、震度50とか100とかといったレベルだったのかもしれない。
 船内ではバリバリバリといった木の割れる音が鳴り響き、物は散乱し、乗船者はベッドに体を縛った。船底はあっという間に嘔吐物で溢れ(嘔吐が激しくなると胆汁を直接吐くようになり、一面、緑色になってくる)船内は腐敗臭で覆われた。トイレの配管は壊れ、辺り一面汚物だらけとなった。あちこちから「助けてくれ!」といった叫び声や、うめき声、悲鳴が聞こえてきた。しかし、助けて!と言われても、全員がダウンしてしまっている状況ではどうにもならない。医者を呼んでくれーと言われても、日本から医者が飛んでくるはずもなく(船内医は1名いるが対応できる状況ではない)、水や薬が救援物資で運ばれてくることもない。ライフラインが麻痺し、まるで拷問を受けているかのような状況となってしまったが、耐える以外に道はなかった。誰かに何かを求めることはできず、窮状は自力で切り抜けるしかなくなっていった。
 そんな状況下にあったが、そんな時でも“比較的元気”な人というのはいるものだということをこの時はじめて知った。廊下を這いながらも数十人が船内の広場に集まってきた。そして、とにかくこの場を切り抜けよう、重傷者の介護をしようということで話がまとまり、十数人で介護チームを結成することになった。数人ごとにグループを編成し、乗船名簿をたよりに担当区域を決め、端から順番に声かけをおこなっていった。声を掛けても、医療行為ができるわけではないのだが、それでも声を掛けることで不安が減ったのか、次第に悲鳴はおさまっていった。
 船の大揺れは2日間続いたが、それでも声掛け見回りのあとは一応の落ち着きを取り戻し、何とか歩ける人も増え始め、自分の部屋の掃除程度はできる人が増えていった。レストランもおにぎり程度は作れる程度復旧し、最低限の食事が確保されるようになっていった。しかし、船の機能が完全に復旧するには、それから長い時間を要したことはいうまでもない。
 この時の教訓として、いざとなったら自分たちの命は自分たちで守らなければどうにもならない、その場に居合わせた人で協力し合って困難に立ち向かわない限り道は開けないということであった。誰がどうのこうのなど一切関係ない。どんなに親切な人が離れたところにいたとしても、太平洋の真ん中まで助けにいくことはできない話しであり、お役所が助けに来るまでなどと呑気にしていたら死んでしまうというものだ。自治の基本はその場にいる人でどうにかすることなのだということをこの時思い知らされたのであった。そして、全てが解決するには、その後長い時間を要するということも。
 現代社会は役割分担が複雑化し、機能分化しており、日頃はそれはそれでよいのかも知れないが、非常時は単純な原則に戻るということだけは知っておいてほしいと思う。電波も電気も水道も組織も何もない、その中で生きるのだということを。そして、今の日本に居合わせた人全員で力をあわせていかないとどうにもならないということを。
 今後、津波や原発の被害と向き合う時間は、相当長くなると想像する。息切れせずに長く救援を続ける方法も考えていく必要があると思う。阪神大震災時においても、地震直後は様々な救援が入ったが、半年、1年と時が経つにつれ、疲労等から足が遠ざかっていった人も少なくはなかったと耳にしている。様々な被害は1年や2年で回復するものでは決してない。本当の厳しさはこれからやってくる。何としても生き抜くという覚悟が必要かもしれない。事態は想像以上に厳しい。
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by morimiki-momo | 2011-04-01 18:25